AIエージェントの
安全設計
ブロックチェーン取引を任せる前に決める、署名・権限・監査・停止
— 1行で答えると
AIエージェントにブロックチェーン取引を任せる設計の中心は、AIをどこまで賢くするかではなく、署名権限・金額・送付先・承認・停止をどこまで制限するかです。権限段階(Level 0〜5)、秘密鍵の分離、取引ポリシーのコードでの制限、実行前シミュレーション、二段階承認、監査ログ、緊急停止の7点を先に決めます。なお本記事は設計の考え方を整理したもので、個別案件の法務確認やスマートコントラクト監査を代替するものではありません。
AIエージェントがウォレットを持ち、支払い、交換、契約実行を行う構想が現実的になっています。ブロックチェーンは取引を自動実行し、結果を共有台帳へ記録できます。AIエージェントは状況を読み取り、複数のツールを使い、次の行動を選べます。この2つを組み合わせれば、人間が逐次操作しなくても取引や業務を進められます。
一方で、AIの判断ミスが資産移転へ直結します。文章の誤りなら修正できますが、オンチェーン取引は取り消せない場合があります。本記事は、AIエージェントに資産に触れる操作を任せるかどうかを検討している事業責任者・技術責任者向けに、設計で先に決めるべき制限を整理します。AIエージェント側のツール接続の設計はMCPで業務ツールをつなぐ設計パターンで扱っています。
— 01
AIへ与える権限段階
最初に決めるのは、AIがどこまで実行できるかの段階です。段階を言葉で決めておくと、どの機能まで実装するか、どこから承認が必要かを関係者で共有できます。
| 段階 | 名称 | できること | 署名 |
|---|---|---|---|
| Level 0 | 閲覧 | 残高、取引履歴、価格、契約状態を読むだけです。 | 署名しない |
| Level 1 | 提案 | 実行候補、送付先、金額、ガス、期待結果を作ります。 | 署名しない |
| Level 2 | シミュレーション | ノードやシミュレーション環境で、取引が成功するか、残高がどう変わるかを確認します。 | 署名しない |
| Level 3 | 承認後実行 | 人間または別システムが内容を承認した後、限定された署名者が実行します。 | 承認後に限定署名 |
| Level 4 | 限定自律実行 | 事前に定義した金額、送付先、時間、コントラクト、頻度の範囲内で自動実行します。 | 範囲内で自動署名 |
| Level 5 | 広範な自律実行 | AIが取引先と条件を選び、資産を移転します。事業上の責任と事故時の損失が大きい段階です。 | 広範な自動署名 |
当社は、PoCの段階ではLevel 1から3の範囲で検証することを推奨しています。これは当社の運用目安であり、普遍的な正解ではありません。Level 5は、AIが取引先と条件を選び資産を移転する段階です。事故時の損失と事業上の責任が大きいため、採用には厳しい要件が必要です。
— 02
秘密鍵をAIへ渡さない
LLMのプロンプトやツール実行環境へ秘密鍵を直接保存しません。署名は、AIとは分離したコンポーネントで行います。
役割を分けると、AIは署名要求を作成し、ポリシーエンジンが条件を確認し、署名者が実行する形になります。AIが署名鍵に触れない構成にしておけば、AI側の誤動作やプロンプトインジェクションが起きても、資産移転の可否はポリシーと署名者の側で止められます。
あわせて、秘密鍵がログ、メモリ、エラーメッセージ、チャット履歴へ出ないことを確認します。本記事では、鍵の具体的な保管手順や個別企業の構成は扱いません。運用中のAIエージェントの権限設計についてはAIエージェントで会社を回すでも触れています。
— 03
取引ポリシーをコードで制限
自然言語の指示だけでは制限になりません。プロンプトに「高額な送金はしないこと」と書いても、実行経路が残っていれば実行できてしまいます。制限は、スマートコントラクト、ウォレットポリシー、実行基盤の複数層でコードとして表現します。
- ▸1回あたり
- ▸1日あたり
- ▸資産別
- ▸取引先別
- ▸allowlist
- ▸本人確認済みアドレス
- ▸自社管理アドレス
- ▸承認済みコントラクト
- ▸transferのみ許可
- ▸approve禁止
- ▸無制限approve禁止
- ▸PermitやPermit2など署名だけで成立する承認の禁止
- ▸setApprovalForAll禁止
- ▸EIP-7702の権限委任の禁止
- ▸任意コントラクト呼び出し禁止
- ▸delegatecall禁止
- ▸ブリッジ利用禁止
- ▸営業時間
- ▸承認から実行までの有効期限
- ▸高額取引のタイムロック
- ▸連続実行のクールダウン
- ▸残高が一定以下なら停止
- ▸価格乖離が大きい場合は停止
- ▸オラクル停止時は実行しない
- ▸チェーン再編や混雑時は保留
公的な実証実験でも、制限は個別の技術要素として検証されています
金融庁の「FinTech実証実験ハブ」第10号案件(2026年3月13日公表、実験期間は2025年6月から9月)では、暗号資産等を模したトークンを使い、本人確認済みのアドレス間でのみ移転できる移転制限付トークンが検証されました。本人確認を示すトークンに顧客ごとのリスクに応じた有効期限を設定する、あるいは無効化・一時停止することで、以後その顧客等による移転制限付トークンの授受、流動性プールへの預入れ、交換ができなくなることが、技術的仕様として機能したと報告されています。送付先のallowlistと時間制限は、AI利用の文脈に限らず設計要素として扱われています。
金融庁「FinTech実証実験ハブ」支援決定案件の実験結果について制限の対象を「送金トランザクション」だけに絞らないことも重要です。PermitやPermit2のように署名だけで承認が成立する仕組み、NFTのsetApprovalForAll、EIP-7702による権限委任は、資産を直接動かさない署名に見えて、あとから第三者が引き出せる状態を作ります。Ethereumの開発者ドキュメントでは、EIP-7702で導入されたType 4トランザクションがauthorization listを持ち、EOAがコントラクトアカウントのように振る舞えるようになると説明されています。委任した状態は署名した取引の中で終わるものではなく、明示的に上書き・解除するまで残り得ます。AIが作れる署名の種類そのものを、ポリシー側で列挙して制限します。
コントラクト側の権限分離には、公開されている実装のドキュメントが参考になります。役割ベースのアクセス制御はOpenZeppelin Contracts(Access Control)のドキュメントに整理されています。
ただし、これらの制限を入れてもスマートコントラクトの安全性を保証できるわけではありません。実装レビュー、第三者による監査、段階的な公開と併用します。チェーンによって再編の起きやすさや混雑時の挙動が変わるため、前提となる基盤の選定はブロックチェーン選定ガイドもあわせて確認してください。
— 04
実行前のシミュレーション
AIが作った取引は、署名前に必ずシミュレーションします。確認する項目は次のとおりです。
シミュレーション結果は、人間が理解できる日本語へ変換します。ただし、自然言語の要約だけで承認しません。要約は元データの一部を落とすため、元のトランザクションデータと差分もあわせて保存し、後から突き合わせられるようにします。
シミュレーションは、署名前に気づける範囲を広げる工程であって、結果を保証するものではありません。シミュレーションはある時点の状態を前提にした試算です。送信までに状態が変われば結果は変わりますし、MEVやフロントランのように、送信後の他者の行動で結果が変わる要因は事前に確定できません。許容する最小受取量や有効期限を取引自体へ埋め込み、送信直前にもう一度確認する、pendingのトランザクションとnonceの状態を把握する、といった対策を併用します。
外部データを条件に使う取引では、価格や状態の取得元が止まったり、想定と違う値を返したりする場合があります。外部データの扱いはブロックチェーンのオラクル問題で整理しています。トランザクションやガスの基本仕様は、Ethereumの開発者ドキュメントのTransactionsとGasを参照してください。
— 05
承認を二段階にする
高額または不可逆な取引は、一人の承認で実行しません。承認の経路を分けることで、業務目的の妥当性と、金額・送付先の妥当性を別々に確認できます。
AIが取引案を作る
ポリシーエンジンが自動確認する
担当者が業務目的を確認する
別の承認者が金額・送付先を確認する
署名サービスが制約を再確認する
実行後に監査ログを保存する
承認画面に表示すること
16進数のデータではなく、誰へ、何を、いくら、どの権限で実行するかを表示します。承認者が読めない形式のまま承認ボタンだけが押される状態では、二段階にした意味がありません。
承認したものと署名するものが同一であることも、手順として固定します。承認と署名の間に内容を差し替えられると、承認を分けた意味がなくなります。承認の時点で対象を確定させ、チェーンID、送付先、金額、呼び出しデータ、承認を与える相手、nonce、有効期限を含むハッシュとして固定します。署名サービス側では、渡されたデータがそのハッシュと一致することを再確認します。
承認から署名までの間隔が空いた場合は、その間に状態が変わっている可能性があります。有効期限を超えた承認は失効させ、あらためてシミュレーションからやり直します。
— 06
監査ログの設計
AIとの会話ログだけでは、事故時に経緯を追えません。判断・承認・実行・監視の4種類に分けて保存します。
判断ログ
- ▸入力データ
- ▸使用したモデル
- ▸プロンプトまたはポリシーのバージョン
- ▸AIが提案した理由
- ▸代替案
承認ログ
- ▸承認者
- ▸承認日時
- ▸承認対象
- ▸変更前後
- ▸例外承認の理由
実行ログ
- ▸トランザクションハッシュ
- ▸送付元・送付先
- ▸金額
- ▸コントラクト
- ▸nonce
- ▸ガス
- ▸実行結果
監視ログ
- ▸異常検知
- ▸ポリシー違反
- ▸停止
- ▸再開
- ▸インシデント対応
ログには改ざん防止とアクセス制御を施し、個人情報や秘密情報を必要以上に残しません。保存期間と閲覧できる範囲も、記録する項目と同時に決めます。
— 07
緊急停止と復旧
事故時に「担当者が気づいて手動で止める」だけでは足りません。止め方を先に設計し、実際に止められることを検証しておきます。あわせて、それぞれの手段が何に効いて何に効かないかも書き出しておきます。
止められる範囲を誤認しない
ここに挙げた手段が止められるのは、主にこれから署名・送信されるものと、以後の実行です。すでに送信して確定したオンチェーン取引は、原則として取り消せません。署名鍵を入れ替えても、その鍵で過去に付与したapproveは残るため、取り消しには別の取引が必要です。外部コントラクト側に生じた状態も、こちらの停止操作では戻りません。設計時は、各手段の効く範囲を一覧にして、事故時に「止めたつもり」が起きないようにします。
停止権限を持つ人と、再開の条件を事前に定めます。誰でも止められる状態も、誰も止められない状態も避けます。前述の金融庁の実証実験でも、本人確認を示すトークンの無効化・一時停止によって、以後その顧客等による移転制限付トークンの授受、流動性プールへの預入れ、交換ができなくなる仕組みが検証されており、止める手段を仕様として持たせる考え方は公的な実験でも扱われています。
スマートコントラクトが停止機能を持たない場合は、ウォレットと実行基盤の側で止められるようにします。停止したあとに何を確認し、どの条件で再開するかまで書いておくと、事故時の判断が属人的になりません。
— 08
PoCの合格条件
AIエージェント×ブロックチェーンのPoCでは、送金が1回成功したことをゴールにしません。正常系・異常系・運用の3つで合格条件を決めます。
- ▸読み取り
- ▸提案
- ▸シミュレーション
- ▸承認
- ▸実行
- ▸照合
- ▸誤った送付先
- ▸上限超過
- ▸無制限approve
- ▸高いガス
- ▸価格急変
- ▸オラクル停止
- ▸署名者不在
- ▸二重実行
- ▸プロンプトインジェクション
- ▸ツールの誤応答
- ▸チェーン停止
- ▸担当者が承認内容を理解できる
- ▸事故時に停止できる
- ▸復旧手順を実行できる
- ▸監査ログから経緯を追える
- ▸費用と工数を見積もれる
当社は、異常系が通らない状態では本番へ進めない方針で設計しています。正常系だけを確認したPoCは、動くことは示せても、事故時に何が起きるかを示せません。PoCを始める前の撤退基準の決め方はPoCを始める前に決めるべき撤退基準、事業化に至らない典型的な原因はPoCが事業化につながらない5つの原因で整理しています。
— 09
向く用途と慎重に扱う用途
同じ技術でも、対象業務によって事故時の損失が変わります。当社が最初の対象として選びやすい用途と、条件を厳しくして扱う用途を分けて示します。
向いている用途
- ▸定額・少額の支払い
- ▸条件が明確な資産移転
- ▸本人確認済みの相手への限定取引
- ▸取引案の作成とシミュレーション
- ▸財務・会計の照合
- ▸コントラクト状態の監視
- ▸DAOや組織の提案作成
- ▸権利者情報の確認
慎重に扱う用途
- ▸任意アドレスへの高額送金
- ▸レバレッジ取引
- ▸ブリッジ
- ▸未監査コントラクトの利用
- ▸秘密鍵の直接操作
- ▸法的判断を伴う自動執行
- ▸顧客資産の無承認移転
- ▸市場操作につながる取引
慎重に扱う用途のうち、コントラクトの実装リスクについてはDeFiハッキング事例10選に攻撃手法の分類をまとめています。外部のコントラクトへ依存する場合は、発注前のスマートコントラクト発注前監査のように、実装を受け入れる前に見る工程を設けます。
— 10
Netsujoの設計方針
Netsujoでは、AIエージェントとブロックチェーンを組み合わせる場合、まずLevel 1から3で検証します。AIは読み取り、提案、シミュレーションを担当し、署名と資産移転は別のポリシーと承認へ分離します。
PoCの段階から、停止条件、責任者、監査ログ、本番移行の判定基準を設計します。自律性を高めることより、損失を限定し、経緯を説明でき、止められることを優先します。
ここに書いた段階や条件は当社の設計方針であり、業種・資産・規制環境によって適切な水準は変わります。適用にあたっては、個別の法務確認と第三者による実装監査を併用してください。
この記事の著者

飯田 友広
代表取締役
Netsujo株式会社 代表取締役。京都発のWeb3・AI実装スタートアップを2023年6月に創業。Webサイトを営業基盤として捉え、経営・営業・検索・生成AI・コンバージョン・計測を横断して課題と改善優先順位を整理する「Netsujo SIGNAL」を設計・運営。京都ビッグデータ活用プラットフォーム参画(小規模企業会員・ベンチャー)、同プラットフォーム発のワーキンググループ「Chain Up KYOTO」参画(2026-03-10)、IVS2026サイドイベント「なぜ京都でWeb3.0ビジネスなのか」を京都府庁旧議場で開催(2026-07-02・Netsujoとして主催、企画・登壇・運営/京都府デジタル政策推進課は共催)。京都美術工芸大学での講義・龍谷大学でのセミナー実績、ITコミュニティ「みやこでIT」(connpassメンバー614名・イベント167件・2019年2月から運営)運営。NPO法人NEMTUS理事、BAR KRYPTO運営。ソーシャル企業認証「S認証」認証企業(2026年2月認証・2026年4月公表)。技術領域はWeb3/ブロックチェーン/DID/NFT/生成AI/コミュニティ運営。
プロフィールを見るこの記事が向いている方
AIエージェントに資産移転を伴う操作を任せるか検討している事業責任者・技術責任者
ブロックチェーンを使う業務自動化のPoCで、合格条件を決めたい方
自律実行の範囲と停止手段を、社内で説明できる形に整理したい方
— 壁打ち相談
読者のよくある相談
記事を読んだ後に「自分の状況だとどう判断すべきか」を整理するための壁打ち相談を受け付けています。下記のような相談例が当てはまる方は、お気軽にご連絡ください。
Q. 自社のユースケースでは、どのLevelまでAIに任せてよいですか?
対象業務の不可逆性・金額・関係者を整理し、最初に置く権限段階を一緒に決めます。
Q. 承認フローと停止手段は、どこまで作れば本番に出せますか?
異常系の検証項目と運用条件を、PoCの合格条件として言語化する相談に対応します。
Q. 既存のウォレット・基幹システムと、どうつなぎますか?
署名の分離とポリシーエンジンの置き場所を、既存構成に合わせて設計します。
上記いずれかが該当する場合、初回30分の壁打ち相談で論点整理に対応します。記事に書ききれない個別事情を踏まえた判断材料が必要な段階こそ、壁打ちが活きやすいフェーズです。
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